2013年 4月の記事一覧

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13年04月06日 16時10分07秒
Posted by: arakisouzoku
本日の日本経済新聞WEB版に株式市場の上げ相場についての記事が掲載されていました。

アベノミクスによる円安、株高から、リーマンショック前の13000円台に回復した株価についての適合性について触れられています。

いま、最も、気になる景気回復と株価の連動性はなど・・・

同記事を原文のまま、ご紹介させて頂きますので、参考にしてみてください。

英フィナンシャル・タイムズ紙が「革命」とまで書いた日銀の質的・量的金融緩和の発表を受けて、週末5日は日経平均株価が1万3000円台に乗せる場面があった。上げ相場の起点となった昨年11月半ばからの上昇率は一時、50%に達し、2005年の小泉郵政改革相場の上昇率に並んだ。

昨年11月以来、相場上昇局面で、よくこんな指摘を聞いた。「しょせんは期待先行の上げだ」と。そもそも株式相場は経済や景気を先取りするものであり、株式投資はその将来価値を現時点で取り込みにいく行為にほかならない。先行きに期待があるから、今、投資をする。先行きに期待が持てないなら売却する。極めてシンプルな経済行為だ。

ここ数年、内外の投資家にまったく相手にされなかった日本株に、ようやく投資家が期待感を持ち始めた。それを「しょせんは期待先行」と、まるで悪いことのように語られるのをみると、首をかしげてしまう。

日経平均が9500円を付けた昨年12月、ある新聞が「安倍バブル」と警戒感を示した。今回の上げ相場で、「バブル」という表現を何度も耳にした。そこに込められた響きは「この上げは長続きしない」というシニカルな見立てであり、株価上昇を素直に評価していない。

日経平均が1万円、1万1000円、1万2000円とレンジを切り上げていくたびに、「バブルだ」「ここらが天井だ」と騒ぎ、その予想はことごとく外れた。そもそも、ようやく欧米並みにリーマン・ショック前の水準を回復した日本株を、「バブル」と呼ぶのに違和感がある。

1990年前後のバブル期には、主力株の中に株価収益率が100倍近くまで買われる銘柄が出てきて、それを正当化するために「含み資産相場」などという、今となっては詭弁(きべん)としか思えないような理論を大まじめに振りかざしていた。

東証1部市場から株価が1000円未満の銘柄は消え、誰もが日経平均は5万円までいくと信じていた。あれこそバブルであって、今の株式相場の状況は足元にも及ばない。過去最高値を更新した債券相場や、ようやく過度な上昇が終わった円相場は、いくら上昇しても、日本株ほど「バブル」とは言われない。なぜ株式相場の上昇だけ過敏に反応するのだろう。

株価が上がると懐疑的な指摘をする向きは、いったいどういう未来を指向しているのだろうか。まさか、今までのようなデフレ経済が続く方がいいと思っているわけではないだろう。多額の現金を持ち、年金収入しかないシニア層は、本音ベースでは「デフレ歓迎」だったかもしれないが、働き盛りの世代にとって、デフレのマイナス成長社会では、給与は上がらず公的負担ばかりが増え、悪夢以外の何物でもない。

株価が上がると、世の中ではどんなことが起きるだろう。含み益が増えた個人投資家は消費意欲を強めるだろう。株価が上がった企業は設備投資に前向きになるだろう。業績が改善すれば、広告費や交際費も増えるだろう。

買い物が増えれば流通業は潤い、相場活況の恩恵を受ける証券会社は喜び、投資関連の新聞、雑誌も売れる。株式など関係ないと横を向いている人も、従業員持株会や年金の利回り向上など、知らないうちに株高の恩恵を受けているだろう。株価上昇で、いいことは山ほどある。

では株価が上がって困るのはどんな人たちだろうか。信用取引で売り立てている投資家は困るだろうが、思いつくのはその程度で、株価上昇で喜ぶ人に比べれば、圧倒的に少ないと思う。最大多数の最大幸福ではないが、株価は上がった方が恩恵を受ける人は、はるかに多い。

大和証券グループ本社の鈴木茂晴会長は「株価上昇こそ最大の景気対策」と指摘していたが、同感だ。国内総生産(GDP)成長率が何%伸びたとか、日銀短観で業況DIがどのくらい改善したとか言われるより、「日経平均が1万3000円回復」と言われた方が、経済の状況が改善しているらしいという感じは、よく伝わる。

今、目の前で起きている株価上昇を、単なる底値からの回復とみるか、それとも、何十年かに一度の大きな変革が始まったとみるのか。もし前者なら、リーマン・ショック前の水準である1万2000円をクリアし、小泉改革相場と並ぶ上げ幅の1万3000円を回復したあたりで、一連の上げ相場は終演とみるだろう。さっさと利益確定の売りを出して、撤退すればいい。金融緩和策は「出し惜しみしない」(黒田東彦・日銀総裁)ゆえ、逆に言えば「材料出尽くし」(中堅証券のストラテジスト)といった声もあるだろう。

しかし黒田総裁が「これまでとは次元が違う」と語るような変革が、金融政策だけでなく、日本経済全体に起き始めていると考えるなら、この上げ相場の終点が1万3000円あたりのはずはない。

米国も大規模な金融緩和から2年が経過して、株式相場が史上最高値を更新した。一方、日本では米国に匹敵する金融緩和が始まったばかりだ。ニューヨークダウ30種平均が前回、1万4000ドルを付けた2007年10月、当時の日経平均株価は1万7000円台だった。米国と同じような道筋をたどれば、このあたりまでの相場回復は視野に入れてもいいのではないか。
【日本経済新聞WEB版2013/4/6】

いかがでしたでしょうか・・・

株価の高値の山をどこで判断すべきでしょうか・・・

現在、過去、のデータで未来を予測することが重要なことのようです。

株式投資には、以前にもまして、細かな情報収集に気を配る必要があるようです・・・



本日は、『放棄の手続③』について、お話させていただきます。

1 相続人が未成年者である場合

未婚の未成年者の法律行為は親権者が法定代理人として行うのが原則です。

ただし、相続に関する場合は、例えば父親が死んだ場合、その相続人である子供Aが未成年であった場合、通常の法律行為であれば、子供Aの法定代理人は、母親とするのが自然ですが、この相続の場合、母親も相続人であることから、母親と子供Aは利益相反の関係となりますので、母親は子供Aの法定代理人にはなれないこととなり、子供Aのために特別代理人を選任しなければなりません。
もっとも、母親が相続放棄をすれば、利益相反の関係ではなくなりますので、母親が子供Aの法定代理人となることに差し障りはないこととなります。

2 相続放棄の効力

相続放棄は、前回以前でお話しました通り、被相続人の死亡後に家庭裁判所に申述して行うもので、それ以外の方法では放棄の効力は生じないこととなります。
例えば、被相続人の死亡前に『財産はいりません』という約束をしても、法律上は無効となります。
そのような約束をした人が、相続開始後に相続権を主張した場合は、不当なようですがこれを認めざるを得ないこととなります。

3 相続放棄の取り消し

裁判所に放棄申述書が受理されたあとは、原則として放棄の取り消しはできないこととなります。
詐欺とか強迫により放棄したときなど、例外的な場合には取り消しが認められることはあります。
この取り消しも家庭裁判所に申述することとなります。

以上、『放棄の手続③』について、お話させていただきました。

次回は、『限定承認に関する事項』について、お話させていただきます。
13年04月05日 22時18分54秒
Posted by: arakisouzoku
今日の日本経済新聞WEB版に小田急線の開発についての記事が掲載されていました。

林間の名のつく駅の多い理由についても記されていました。

興味深そうな記事でしたので、みなさんにもご紹介させていただきます。

中央林間、南林間、東林間――。小田急電鉄の路線図を見ると、「林間」と名乗る駅が目に付く。相模原市から大和市にまたがるエリアにあり、住所にもなっている。この辺りに伝わる由緒ある地名なのだろうか。調べてみると、それはかつて小田急が進めた壮大な都市計画の名残だった。遷都論まで飛び出した構想の全貌を探った。

■小田急が推進した「林間都市計画」

新宿駅から小田急小田原線に乗り、相模大野駅で江ノ島線に乗り換える。神奈川県大和市の中央林間駅は、新宿から50分ほどの場所にある。

改札を出て駅の周りを歩いても、「林間」のイメージはない。周辺はスーパーや銀行、マンションが立ち並び、典型的な私鉄沿線の街並みとなっている。

なぜここが中央「林間」なのか。地域の歴史に詳しい、つる舞の里歴史資料館(大和市)を訪れると、資料館職員の箱崎淳さんが解説してくれた。

「中央林間駅は1929年(昭和4年)、中央林間都市という駅名で開業しました。小田急が推進した『林間都市計画』の中心だったのです。林間という名前は、この辺りがかつてカラマツなどが生い茂る雑木林だったことに由来しています」

箱崎さんによると、小田急は中央林間、南林間、東林間に合計80万坪(260万平方メートル)もの用地を取得した。中央林間と南林間を高級住宅地とし、東林間には工場を誘致。さらには小田原線の座間駅付近にも20万坪(66万平方メートル)ほどの土地を買収して遊園地をつくる計画だったという。住む場所、働く場所、遊ぶ場所を一気に整備するというわけだ。

単なる机上の計画ではない。中央林間と南林間では実際に区画整理を行い、1929年から土地の分譲を始めた。「道路や街区など街の骨格部分はできあがり、現在もその姿をとどめています」と箱崎さん。確かに、当時の計画図と現在の地図を見比べてみると、碁盤の目状に走る道路はほとんど、計画通りになっている。

■「神奈川の軽井沢」 さわやかなイメージで売り出す

神奈川の軽井沢――。関係者は当時、林間都市をこう呼んでいた。小田急が打ち出した売り出し文句は「Your House on Your Land」(あなたの家はあなたの土地に)。

大和市が発行する「大和市史研究第12号」(1986年3月)に関係者による座談会、「中央林間を語る」が載っている。それによると当時、このキャッチフレーズが大いに受けたという。

計画当初、新設する駅は「公所(ぐぞ)」「相模ケ丘」「中和田」という名前だった。これが開業1カ月前になって急きょ「中央林間都市」「南林間都市」「東林間都市」と変わった。小田急本社から強い要請があったという。さわやかな林間に広がる都市、というイメージを植え付けたかったようだ。

■4面の野球場やラグビー場 「スポーツ都市」目指す

林間都市計画は、住宅地開発にとどまらなかった。

小田急は中央林間と南林間の中間に広大な「スポーツ都市」を建設した。そのスケールが何とも大きい。2万4000坪の土地に野球場を4面整備したのをはじめ、5000坪のラグビー場、テニスコート、ホッケー場、スポーツクラブを新設した。野球場では学生野球などの大会を行ったという。

■松竹の撮影所は大船ではなく林間都市に移転予定だった

さらには大日本相撲協会(当時)が力士の養成所を開いた。1931年(昭和6年)6月には300人もの力士を集めて盛大な土俵開きを行い、当時の大関、大ノ里や関脇の天龍らが参加する相撲大会を実施。期間中、電車は連日満員だったという。

しかし翌1932年には関脇・天龍らが力士の待遇改善を求め協会を脱退するなど騒動が勃発。相撲学校もそのあおりを受け、あっけなく消滅してしまった。

スポーツ都市構想とは別に、ゴルフ場も生まれた。これが相模カンツリー倶楽部、現在も続く名門ゴルフ場だ。会員権は流通しておらず、会員になるのが難しいゴルフ場として知られている。

野球場の近くには女学校、大和学園が開校した。小田急創業者、利光鶴松の娘、伊東静江が園長を務めた。現在は「大和学園 聖セシリア」となり、幼稚園から大学まで運営している。

実現しなかった計画もある。松竹は当時、蒲田にあった撮影所を林間都市に移転する構想を持っていた。つる舞の里歴史資料館の箱崎さんによると、実際に土地も取得したという。しかし結局移転は実現せず、蒲田撮影所は神奈川県鎌倉市の大船に移ることになる。

■小田急創業者・利光鶴松、林間都市への遷都構想も

何ともスケールの大きな林間都市。一連の計画を主導したのは小田急の創業者、利光鶴松だった。

利光は衆議院議員などを務めた政治家だ。鉄道事業に進出し、小田急を創業した。新宿から小田原まで80キロ超をわずか1年半で敷設した手腕は当時、大きな話題となったという。

小田急電鉄の社史、「小田急五十年史」によると、利光社長が林間都市を構想したのは大正中期以降。小田急線の計画と並行して考えていたらしい。当時、渋沢栄一が田園都市会社を設立し、息子の渋沢秀雄らが中心となって田園調布に「田園都市」を建設した。後に東京急行電鉄の母体ともなるこの計画が、利光社長を刺激したという。

社史によると、利光社長はさらに大きな構想を抱いていた。林間都市に首都を移転するというプランだ。東京郊外こそこれからの時代の中心となる――。利光社長にとって、林間都市は理想の都市像だった。

■東京から1時間 不況重なり分譲進まず

鳴り物入りで始まった林間都市計画はしかし、思うように進まなかった。土地の分譲が低調だったのだ。資料館の箱崎さんによると、「当初5000戸を見込んでいたのに、10年後の1939年(昭和14年)時点の販売実績は全体の31%程度にとどまっていた」という。なぜなのか。

「東京からあまりにも遠かったこと、その割に分譲価格が高すぎたこと、そして時代の逆風と悪条件が重なってしまった」

北海道大学大学院の越沢明教授によると、林間都市の分譲価格は当時、高級別荘地の江ノ島よりは安いものの、鎌倉より高かったという。

しかも当時、林間都市から新宿まで約1時間かかっていた。さらには1時間ごとの運行で本数も少なかった。これでは人々の関心はなかなか、集まらない。

小田急は次々とてこ入れ策を打ち出す。まずは土地取得者は新宿までの乗車運賃を3年間無料化した。さらには無料期間後も「永久に新宿―成城学園と同等まで割り引く」といった措置を発表するなど、通勤客にアピールした。しかしそれでも分譲は増えなかった。

折しも昭和恐慌から戦争へと突き進む時代。不況下で購入後に解約する人も多かったという。関東大震災直後、郊外への関心が高まった時代に開発を進めた東急とは対照的なタイミングの悪さだった。

1941年(昭和16年)、小田急はついに決断を下す。中央林間都市、南林間都市、東林間都市の駅名から「都市」を外したのだ。その理由について1980年(昭和55年)発行の社史はこう記す。

「雄大な駅名に反して肝心の『都市』の建設は一向にはかどらず、林間都市と呼ぶにはへだたりがありすぎた」

壮大な計画は、こうして道半ばで進行を止めた。

■小田急、東急の中央林間接続に異議

中央林間が再び注目されたのは、昭和30年代になってから。そのきっかけとなったのが、東急・大井町線の中央林間延伸だった。現在の田園都市線だ。

実は、この延伸計画が浮上したとき、小田急は異議を唱えている。

東急がまとめた「多摩田園都市 開発35年の歴史」によると、1960年(昭和35年)、計画を説明する公聴会を前に、小田急は東急に対してこんな文書を送った。

「貴社申請の終点予定地中央林間およびその周辺は弊社の新宿線の勢力圏内と考えられますので、貴社の終点予定地を弊社江ノ島線の鶴間以南に変更されたいと存じます。なお大和・鶴間地区は、工場誘致等の計画があり、将来の発展が予想されており、地元民もこの方を歓迎している情勢にありますので、貴社にとってもかえって好都合かと存じます」

要請を受け、東急は既に免許を受けていた「溝ノ口(当時)~中央林間」のうち、「長津田~中央林間」間について工事を見送った。「多摩田園都市 開発35年の歴史」はその理由について、ルートの確定ができなかったこと、土地買収が進行途中であったことと並び、「終点予定地の変更を求めた小田急電鉄の申し入れを考慮に入れた」と書いている。

しかし再検討の結果、中央林間での接続を決める。ただ東急・中央林間駅の設置場所がなかなか決まらなかったことなどから開業はずれ込み、1984年(昭和59年)、ようやく田園都市線は中央林間まで開通した。ここから中央林間は一気に開発の度を早めていく。

東急の田園都市計画に触発されて始めた中央林間の開発が、東急との接続によって息を吹き返す。何とも皮肉な展開ではある。

■「都市」の時代に「林間」名乗る

現在、中央林間は小田急、東急合わせて約20万人が乗り降りする神奈川県の中核都市の1つとなっている。小田急の社史は記す。

「三駅は『林間』の時代に『都市』であり、『都市』の時代に『林間』を名乗るという皮肉な結果となっている」

都市開発は一筋縄ではいかない。今も街のあちこちに息づく計画の名残は、複雑な要素が絡み合う計画の難しさを物語っている。
【日本経済新聞2013/4/5 】

いかがでしたでしょうか・・・

中央林間は、今は、人気の郊外型都市です。

その街の歴史を知ることは思わぬ発見があるものです。

トレンドな街の歴史は・・・

参考にしていただけたでしょうか・・・


本日は、『放棄の手続き②』について、お話させていただきます。

1 三ヵ月経過後であっても放棄が認められるケース

前回、申し上げました放棄の延長の申し立ての手続きをとることなく、三ヵ月経過してしまった場合は、放棄をすることは出来なくなります。
ただし、相続財産がないものと思いこみ放置していたところ、債権者から保証債務の請求があったような場合などは、相続財産の存在を知ったときから三ヵ月以内に手続きを取ればよいとするのが、裁判所の考えです。
最高裁昭和59年4月27日判決は、民法915条の定める『熟慮期間』は、原則として、相続人が相続の開始の事実を知った時から起算すべきものとしつつ、相続人が、『三ヵ月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対して相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、』『熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である。』としています。

被相続人に保証債務があったケースが多くの問題となっています。

被相続人死亡時点で保証債務の存在を知らなかったために、被相続人の300万円ほどの預金を解約して、その一部で仏壇や墓石を購入した後に、三年もたった後に、6000万円ものの保障債務の請求を受けたケースがあります。
このケースでは、『相続財産の処分』にあたるとは断定できないとして、請求を受けてから三ヵ月以内にした相続放棄の申述を受理しました。(大阪高裁平成14年7月3日)

この他にも、色々な多種のわたるケースがありますので、その判断はわかれていますので、事前に専門の方へ相談されることを、お奨めします。

本日は、『放棄の手続き②』について、お話させていただきました。

次回は、『放棄の手続き③』について、お話させていただきます。
13年04月04日 13時59分07秒
Posted by: arakisouzoku
今、FPへの相談では生命保険の見直しと住宅ローンの相談が圧倒的に多いようです。

特に、住宅ローンの相談では、固定か変動の金利の選択や、返済期間や借入額、名義人についてなど、その相談は多種に及びます。

借り方によっては、借り換えの時に、認められないなどといった事態が起きかねません。

慎重に、将来のライフプランを考えて、その借入計画を練るべきでしょう・・・

今日は、家の住宅の購入の際の夫婦共有名義の注意点について、日本経済新聞WEB版から参考となる記事をご紹介させていただきます。

共働き夫婦の場合、住宅購入の際にも夫婦それぞれがお金を出し合うことも多いと思います。今回は夫婦共有名義での住宅取得のメリット・デメリットや共働き夫婦が賢く住宅ローンを選ぶコツについてお伝えします。

まず、夫婦共有とは、住宅購入の際にそれぞれが拠出した資金割合に応じた所有権の持ち分登記をすることです。例えば、夫が預貯金400万円と住宅ローン2000万円、妻が預貯金200万円と住宅ローン1000万円を負担するなら、それぞれの持ち分は夫3分の2、妻3分の1です。

夫婦で住宅ローンを借りる場合(ペアローンとも呼ばれます)、契約ごとに異なる金利タイプの住宅ローンを選択したり、それぞれが住宅ローン控除を受けることができたりします。2013年に居住する場合、2000万円まで(認定住宅は3000万円まで)の年末ローン残高に1%の控除率を掛けた金額が、所得税から控除されます。

共働き夫婦の場合は住宅ローン控除の枠が2倍になるということです。ただし、妻の収入は出産や働き方の変化によって変動する可能性が夫に比べて高いため、無理のない借入額にとどめておきましょう。

例えば、夫の住宅ローンとして2000万円分は固定金利で借り、妻の住宅ローンとして1000万円分は変動金利で借りることも可能です。異なる金利タイプのローンを組むことにより、リスクを分散させる効果もあります。注意点としては、登記などの手続きが2人分になるために費用がかかるということです。また、売却する時にパートナーの承諾が必要になります。それぞれが団体信用生命保険に加入するために、どちらかの万一の際にはその人の借入残高相当が保険金で支払われます。しかし、自分が負担している住宅ローンは残るために注意が必要です。

それでは具体的に住宅ローンの種類を見ていきましょう。「変動金利型」、「全期間固定金利型」、「固定金利選択型」の基本の3タイプの特徴をおさえましょう。

「変動金利型」を選ぶ場合、市場金利の変化によって住宅ローン金利も変動します。半年ごとに金利の見直しがあるのが一般的です。ただし、住宅ローン返済額の見直しは通常5年間ごとのために金利上昇局面では金利の変化に気が付きにくいという注意点があります。見直し後の返済額は、直前の返済額の1.25倍が限度になり、これを超える分は次の5年間で調整されます。

「全期間固定金利型」を選ぶ場合、借りている間ずっと金利が一定です。金利は変動金利型よりやや高めですが、あらかじめ金利が決まっているために将来の資金繰りを見通しやすいです。また、金利上昇局面では金利上昇リスクを防ぐ効果があります。民間銀行や住宅金融支援機構などで取り扱いがあります。

「固定金利選択型」を選ぶ場合、一定期間(3年、5年、7年、10年、15年、20年など)は固定金利で、固定期間終了後は変動金利にするか固定金利にするか選択できることが一般的です。一般に固定期間が短いほど金利は低くなります。住宅ローンを借り入れた当初は残債が多いために、最初の10年間は固定にして、残債が減った後は変動にするという戦略も立てることができます。

住宅ローンを選ぶ際には、目先の金利の低さだけではなく、低い金利が何年続くのかという長期的な視点を持つようにしましょう。また、不動産会社の提携ローン以外にも複数の選択肢を比較検討することが大切です。

まずは勤務先やお住まいの自治体で利子補給制度など有利な制度があるかを確認してみましょう。例えば、大阪市では新婚・子育て世帯向けに住宅ローンに対して年0.5%以内、5年間にわたって利子補給を行う制度があります。金利の割引幅、割引の上限額、対象期間など自治体により様々なために詳細はホームページなどでご確認ください。

財形貯蓄をしている場合は要件を満たすと、「財形住宅融資」を利用することができます。金利タイプは5年固定です。「財形住宅融資」を受ける際に勤務先から利子補給を受けることができる場合は有力な選択肢になります。

住宅金融支援機構の「フラット35」という全期間固定の住宅ローンも利用者が多いです。特に省エネルギー性や耐震性に優れた住宅を取得する場合に「フラット35」の金利から一定期間割引のある「フラット35S」という制度もあります。0.3%の金利引き下げを、金利Aプランの場合は当初10年間(金利Bプランの場合は当初5年間)受けることができます。例えば「フラット35」の金利が全期間で1.89%だとすると、金利Aプランの場合、当初10年間は年1.59%で11年目以降は年1.89%になるということです。受付期間は2013年4月1日から2014年3月31日までで、予算金額に達する見込みになった場合は受け付け終了となります。

会社員の場合は「ろうきん」を選択肢に加えても。「ろうきん」は労働組合や生協などがお互いを助け合うために出資して作った協同組合の金融機関です。非営利で取り扱っている住宅ローンもシンプルで分かりやすいです。全国に13の「ろうきん」があります。 

民間の金融機関の住宅ローンに加えて、これらの選択肢を比較してみましょう。金利だけではなく、かかる費用や繰り上げ返済手数料も調べておくと安心です。
【日本経済新聞WEB版2013/4/4 】

いかがでしょうか・・・

住宅取得の際には、ただ、購入するだけでなく、微にわたり細にいたるまでの注意が必要のようです。

くれぐれも、ライフプランを考えて・・・よくよく慎重に対応したいものです。


本日は、『放棄の手続き』について、お話させていただきます。

1 相続放棄の手続き

相続の放棄は、自分が相続人となったことを知ったとき(一般的には被相続人の死亡を知った日となります)から三ヵ月以内に、被相続人の住所地の家庭裁判所に放棄の申述を行う必要があります。
相続放棄の申述書は、家庭裁判所に備えてありますので、被相続人と自分の戸籍を持参してその申述書に必要事項を記載して申述することとなります。

この三ヵ月という期間は、相続人が相続財産を調査したうえで放棄するか否かを考える期間となりますので、相続財産の調査に困難が伴うなどのときは、裁判所に申したてて延長をしてもらえることもあります。
家庭裁判所は、放棄の申述書が提出されたら、その本人を呼び出すか、または再度文書で照会して、本当に放棄をする意思があるかどうかの確認をとったうえで、申述書を受理するのが一般的です。

本日は、『放棄の手続き』について、お話させていただきました。

次回も引き続き、『放棄の手続き②』について、お話させていただきます。






13年04月03日 10時03分43秒
Posted by: arakisouzoku
いま、シェアハウスが人気のようです。

完全なプライベートな環境よりも、人と接することができる空間を求めているということでしょうか・・・

家庭菜園で入居者同士で野菜を分けあうとか、一緒に食事を作ったりとか・・・広いリブングでみんなでくつろぐとか・・・昔は人との共同生活での煩わしさを嫌う傾向もありましたが、価値観が年代とともに変わってきているようです。

車を欲しがらない、住まいはシェアハウスでOK・・・

われわれ(昭和35年生まれ)の世代と比べ、物事を合理的に考えられる世代なのかなと感じます。

それこそ、われわれの若いころは・・・六本木のカローラといわれたBMWを筆頭に高級車や高級ブランド品を所持することこそがステータスと感じていたようなきがします。

失われた20年の引き換えに、しかっりとした若い世代が育ってきているのかもしれません。

ただ、これがいいのか、悪いのか・・・希望を持てない世代であるとも言えます。

結婚しない男性が増えてきているようです。

やはり、失われた20年から早く脱却して、少し浮かれ気味の世代が育つ世の中が、やっぱり、いいなと思います。

最後にシェアハウスの記事が日本経済新聞WEB版に掲載されていました。

参考に、原文のまま、紹介させていただきます。

最近注目されている「シェアハウス」。ある調査では、20~30代シングルの45%が「シェアハウスに興味あり」と回答(リクルート「SUUMO」調べ)一般には、「エコ&エコノミー」と言われるシェアハウス。では実際、「興味あり」とする20~30代女子は、どこに魅力を感じているのでしょう。

「いま、本気でシェアハウスに引っ越そうと思ってるんです」と話すのは、2012年に上京して通信系企業に就職、築15年のマンションで一人暮らしを始めたA子さん(20代前半)。

彼女が「住みたい」と憧れるのは、東京の下町・御徒町のシェアハウス「COURI006 Shin-Okachimachi」だ。

以前は1階が店舗、2~6階は住居とオフィスだったビルを1棟まるごとリノベーションしてできたシェアハウス。全22部屋とシェアハウスとしては中規模で、1階の引き戸を開け放った様子は、外からはオシャレな「オープンカフェ」にも見える。

なぜ彼女は、シェアハウスに憧れをもったのか。それは、「一人暮らしを始めて、光熱費とゴミの問題に驚いたから」だという。

いまA子さんが住むマンションは、約40平方メートル。平日の日中はほとんど家にいないため、光熱費は「安いものだろう」と思っていた、とのこと。

ところが引っ越して数ヵ月後、自動引き落としの電気・ガス・水道料金を合計して、驚いた。毎月8000円を超えていたのだ。

ゴミについても、意外な量の多さに“罪悪感”を感じるという。

ゴハン用に1週間分の材料を買っても、3分の1ぐらいは中途半端に余って捨てることになる。一人暮らしって本当にロスが多いし、なんだか悪いことをしてる気になって、ブルーになる」とA子さん。

そんなA子さんが憧れる「COURI006 Shin-Okachimachi」は、オープンカフェ風の1階部分がキッチン&ダイニングで、ユニークな調理器具がズラリと揃うのが特徴だ。

冷蔵庫や電子レンジはもちろん、ホームベーカリー、ヌードルマシーン、さらに石釜ロースターに至るまで、入居者どうしで共有できる。その明るく和やかな風景が、複数のサイト上で紹介されていたのだ。

「私、もともと大家族だから、みんなでワイワイ料理したり食べたりできる家のほうが、きっとホッとする。それに、家賃や光熱費、ゴミの量も抑えられるでしょ」とA子さん。「いま引越し資金をためてます」と、目を輝かせる。


一方、「家庭菜園って、やってみたいけど自分ひとりじゃ続かない。せっかく住むなら、菜園が付いたシェアハウスがいいなと思って」と話すのは、都内のレストランで“シェフ見習い中”の、B子さん(30代前半)。

彼女がある夜、ネットでアクセスしたのは、シェアハウス情報の大手ポータル「ひつじ不動産」のサイト。

そこには、東京・富士見台にあるシェアハウス(「DKハウス 東京・練馬」)が掲載されていた。「ベジタブルガーデンもあり、自分で育てた採りたて野菜も味わえます」の文字があった。

さらに別の記事には「(同ベジタブルガーデンで)トマトやしそを育ててます」とも書いてあった。それを見て、B子さんの想像は膨らんだ。

「シェアハウスの仲間と、オーガニックな野菜を育てて、一緒にパスタやサンドウィッチを作って食べる。そんなエコでヘルシーな生活に、憧れませんか?」とB子さん。


いまは本気で、「DKハウス 東京・練馬」へ引越しを検討中。別のシェアハウスに住むアルバイトの先輩から、「シェアハウスに住む心得」を教わり、“その日”に備えているという。

日本でシェアハウスの普及が始まったのは、2000年代の初めから。その後、若者の節約(エコノミー)志向や、東日本大震災以降高まった「つながり願望」によって、誰かとゆるくつながることができる点が人気を呼んできた。

欧米のルームシェアは通常、条件の合った人どうしがアパートの1室を借りる形式。他方、日本でいうシェアハウスは、初めから共同生活を前提に、オーナーが建物を改装し運営するため、居間や風呂などを居住者全員で共有することが多い。

そして最近は、A子さん、B子さんが言うキッチンや菜園(ガーデン)、さらにはフィットネスやシアタールーム、緑豊かなオープンテラスまで、居住者が自由に利用できるシェアハウスも増えてきた。

東京・世田谷の住宅街にある「シェアリーフ千歳烏山」もその一つ。「シェアリーフ(葉)」の名のとおり、中庭感覚のアプローチテラスやオープンテラスなど、屋内外のさまざまな場が“緑”で彩られているのが特徴だ。

同シェアハウスをはじめ、「シェアプレイス」と名付けたシェア型賃貸マンション12軒(2013年3月現在)を企画・運営する(株)リビタ(東京・渋谷)では、“ほどよくつながる”コミュニティスペースを重視。一つ屋根の下に住む仲間どうしが、緑あふれるテラスやガーデンをふらりと訪れ、目で挨拶を交わす。そんな「ゆるくエコなつながり」を提案している。

20~30代のシングル男女に聞いた、先のひつじ不動産の調査によると、シェアハウス入居者は20代前半から30代前半までが約8割を占め、男女比では女性が約6割に及んだという。

居住者どうしのルールづくりとその運用など、いくつか課題はあるが、新たな出会いや「エコ&エコノミー」といった胸躍るメリットも多いシェアハウス。この分野も、市場をリードするのは、賢く前向きなエコガールたちに違いない。
【日本経済新聞WEB版2013/4/3】

いかがでしたしょうでしょうか・・・

最近のトレンドは人との触れ合いのようです。

景気が悪くなると助け合いの精神が芽生えてくるものなのでしょうか・・・

一昔前の日本にあった温もり感を感じるお話でした。

生活の価値観と経済的負担のバランスが合致した方に大受けしているような感じを受けました。

この選択も・・・基本は、やはり・・・ライフプランの考え方で答えを導き出していると思います。

今の生活の出費に対する生活の満足感とシェアハウスで得られる経済的負担まで考えての満足感との比較であろうと思えてきます。

住宅の購入も同様で、新築に拘るのか、日当たりがいい、立地が良ければ中古でもいいと割り切るのか・・・

その選択は千差万別です。

何をいっているのか・・・纏まらなくなってきました。

とにもかくにも、シェアハウスの価値観が受け入れられているようです・・・



本日は、『遺産分割のその他の注意点』について、お話させていただきます。

1 相続人の一部を除外して行った遺産分割協議は無効

遺産分割協議は、相続人全員で行うことが必要となります。
つまりは、相続人の一部が除外されて行われた遺産分割協議は無効となります。
除外された相続人は、あらためて、遺産分割協議を行うように他の相続人に対して請求することができることとなります。
他の相続人が、その請求に応じないときは、遺産分割の調停ないし審判を申し立てることができます。
ただし、ある相続人が遺産分割に加えられなかった原因が、戸籍の上で、その相続人と被相続人との親子・兄弟などの関係が記載されていなかったためであるとするならば、その相続人は、まず家庭裁判所へ身分関係存在確認の訴えを起し、判決をえて戸籍の記載を訂正しておかなければならないこととなります。

2 死後に認知された相続人の場合

遺産分割の終了後に、判決によって認知された相続人があらわれたり、認知の遺言が発見されたという場合については、すでになされた遺産分割をやり直して遺産の一部を現物で分けてもらえることはできずに、この場合は相続分にあたる価額の支払いを他の相続人に請求することができるだけとなります。

以上、『遺産分割のその他の注意点』にお話させていただきました。

次回は、『遺産分割のやり直し』について、お話させていただきました。
13年04月02日 11時46分20秒
Posted by: arakisouzoku
今日の日本経済新聞WEB版に、遺言書に関する記事が掲載されていました。

様々な状況変化に対応できる心構えを持って備えることが重要であるとしたものでした。

以前に前半部分の記事をご紹介させていただきましたが、今回は、その後半を原文のまま紹介させていただきます。


争続対策――。つまり残された家族が相続問題でもめないような対策をとるには、単に「遺言書」を1回つくればOKということにはなりません。経済状況の変化、認知症のリスク、本人の気持ちの変化など、様々な状況変化への対応力を備えたものにしておくことと、そうした変化に気づき、すぐに対応に移ることのできる心構えを持っておくことが大切になるといえるでしょう。

前回のコラムでは、状況変化としてよく起こり得る主だったものを5つ挙げました。

(1)財産が特定できなくなってしまっている
(2)財産を渡そうとしていた相続人が先に死亡している
(3)相続人たちの財産状況が大きく変わっている
(4)遺言をしようとしている人が、認知症になってしまっている
(5)遺言者本人に気持ちの変化が生じている

今回は、(3)、(4)、(5)について、どのような具体的状況が考えられるか、そしてそれを防ぐためにはどうしたらいいか、についてみていきたいと思います。

まず、(3)「相続人たちの財産状況が大きく変わっている」についてです。

相続人たちの「財産状況が大きく変わっている」とは、具体的にはどのような場合を指すのでしょうか。これは、例えば2008年に起こったサブプライムローンに端を発する、リーマン・ショックなどが顕著な例となるでしょう。こうした経済上の大きな変化によって、それまでは順調だった企業組織などの円滑な活動が阻害され、各世帯の収入が大きく影響を受けたような場合がこれにあたります。

もう少し具体的に考えてみましょう。

例えばリーマン・ショック以前は、自営業を営む長男は事業がとてもうまくいっており、経済的な心配は不要だったとしましょう。一方で、同居している長女は、まとまった収入がなく、経済的な支援が必要な状態だったとします。2人の母親はそのような状況を受けて、親の身近にいてよく面倒を見てくれる長女に対して、より手厚く財産を残すような遺言書を作っていたとします。当時の長男、長女の経済状況であれば、おそらくその内容でも大きな違和感はなかったはずです。

しかし、そこへリーマン・ショックなど、経済に大きなインパクトを与えるような出来事が起こってしまいます。すると、自営業をしていた長男はその余波を致命的に受け、自社が倒産するなどの憂き目にあってしまいました。もし、母親が遺言書を書き換えることなく亡くなってしまったら、用意していた遺言は果たして、その後の状況変化に見合ったものとなっているのでしょうか。

このケースでは、長男は経営していた会社が倒産したわけですから、長男の子どもが高校や大学などに就学中であれば、学費が途絶えて中途退学を余儀なくされる可能性もゼロではありません。このような状況で、長女に手厚く財産を渡すという偏った内容の遺言書が出てくれば、長男としては納得できない部分があっても仕方ないと思います。

やはり母親は遺言書をそのままにしておくべきではなかったといえるでしょう。簡単な作業ではないですが、子どもたちが経済的な状況変化に見舞われ、自分の体調も悪化していることをそれとなく感じたら、すぐに遺言内容の無効化も含めた再検討をすべきだったのです。

このように、いったん死後のことをきちんと準備していたとしても、社会の変化という当事者のコントロールできない要素で、遺言書の内容が全く現状にそぐわなくなってしまうことがありえるのです。

次に、(4)「遺言をしようとしている人が、認知症になってしまった」というケースについて考えてみます。判断能力を失ってしまうと、もはや遺言を作成することすら難しくなってしまう、という点では、5つのケースのうちでも異質だといえます。

というのも、それ以外のケースでは既存の遺言内容の見直しをする余地がありますが、この(4)のケースにおいては、そもそも作り替えることができない場合も想定できるからです。

具体的にいうと、その問題は以下のような形となって現れます。例えば、高度成長期の時流に乗って成功をおさめた中小企業の社長が遺言書の作成を検討していた場合です。社長には3人の息子がいますが、仲が相互にあまり良くありません。社長の主な財産は、もちろん家屋敷や預貯金などもあるものの、自社の株式が一番大きな割合を占めています。

しかしながら、ひとくちに株式といっても、中小企業の自社株式というものは財産としては特殊です。単なる財産というよりも、会社という「生き物」を把握するための異質な財産といった方が適切かもしれません。

中小企業のオーナーの相続の際に、お家騒動が原因でついには会社を潰してしまったという事例をたまに目にしますが、こうした会社を存続させていくうえで重大な財産については、きちんと後継者に承継させることが重要となります。このため、自分がもつ株式を生前の早いうちに後継者に移しておくか、最低でも遺言書によって後継者に渡す準備をしておかなければなりません。

しかし、人によってはすぐに手を打てるとは限りません。後継者を長男にするのか、次男にするのか、はたまた三男にするのかを迷った揚げ句に、急速に認知症が進行してしまい、遺言書の作成が難しくなるというようなケースも実際に存在します。特に会社経営者のケースでは、そもそも次に承継するのか、それとも他へ売却するのかの決断を早期に行うことが、取引先や従業員といった多くの利害関係人に迷惑をかけない意味でも重要となります。

また別のケースとして、いったん遺言書を作成していたのだけれど、何らかの事情でまた作り直す必要が出てきたにもかかわらず、そのとき既に遺言者が認知症になっており、判断能力を失ってしまっていた……という場合もあります。

例えば、ある駅前ビルを持って賃料収入を得ていたオーナーの女性が、同居して身の回りの世話をしてくれる娘に対し、その駅前ビルを渡す内容の遺言書を作っていたとします。その後、駅前の再開発の一環で、このビルを含む区域をタワーマンションに建て替えたいという計画が起こり、開発事業者の側からを駅前ビルを手放してほしいという協力要請を受けるようになりました。

しかし、オーナーである女性は認知症が進んでいて、すでに判断能力がなくなってしまっています。事業者側としては、家族に同意を得たうえで家庭裁判所の後見制度を利用し、この女性に後見人を立て、正式な手続きを踏んでからビルの売却に同意をしてもらいたいところです。

ところが、娘にとってみれば、遺言書の中で母親が自分に渡すと約束してくれている、いわば虎の子の収益物件です。これを売却してしまうと、お金、あるいはお金の代わりに割り当てられるタワーマンションの居室を母親名義で取得することになりますが、そうなると、娘がもらうはずだった駅前ビルはどうなってしまうのでしょうか。

残念ながら、遺言書の中では「駅前ビルを売ったお金や、代わりにもらったタワーマンションを娘に渡す」とはされていません。あくまでも、駅前ビルそのものを渡すということになっているため、生前に売却してしまえば、結局のところ娘がこの財産の代価を取得することはできなくなってしまいます。そのため、娘から積極的にこのタワーマンションの計画に協力してもらうことは期待できません。娘が反発している以上、事業者側も無理に手続きを進めることもできず、これが原因でマンション開発計画は一時中断してしまわざるを得ないでしょう。このような事態なども、遺言書を作成した後に判断能力を失ったという状況変化によって引き起こされたケースだといえるでしょう。

最後に、(5)「遺言者本人に気持ちの変化が生じた」というリスクについてみていきたいと思います。これは、例えば「同居を条件に財産を長男夫婦に渡すという内容の遺言書を作っていた」けれども、「やっぱり近くに住む次男夫婦とその孫たちの方が自分に良くしてくれるから、次男夫婦側にも手厚く残してやろう」と考え直すようになった、といったようなケースです。こうした気持ちの変化があったにもかかわらず、書き換えをしないまま亡くなってしまうというリスクがあるのです。

しかし、この遺言者本人の気持ちの変化については、この他にも別のリスクが存在するように思います。高齢になっている父母の気持ちは、かなりの幅で揺れ動くことも珍しい話ではありません。その揺れ動く部分に強く呼応して、子どものひとりが独断で同居を始める、あるいは子ども同士で親の身柄を奪い合い、自分の手元に置いておくことで親の気持ちを変えていくというようなケースさえ起こり得るのです。

そこには、兄弟姉妹間の競争意識というか、他の相続人に対抗して自分こそが……という部分もあり、ついエスカレートしがちなのかもしれません。親の気持ちが変わらないうちに財産を自分のものに確定させておきたいので、多少の贈与税は覚悟しても親からの贈与を強行するということもありえるでしょう。

つまりは、本人の気持ちが自発的に変わるのではなく、外部から強引に変えられてしまうケースがありえることも、リスクの一つだといえるように思います。これはもはや遺言書の機能といった次元の問題ではなく、別の次元の問題だともいえるでしょう。「気持ちが変わっているにもかかわらず、遺言をしないまま亡くなってしまう」というリスクもさることながら、「気持ちは変わらないのに、強引に迫られて別の遺言書を作ってしまう」というリスクもまた存在しているのです。

以上のように、遺言書を作成していたとしても、そのまま手放しで安心できるわけではありません。前回と今回の2回にわたってみてきたように、考えられるリスクは決して少なくはないのです。このようなリスクを避けるためには、遺言書を定期的に見直す、あるいは大きな出来事や変化があった際には、遺言の内容に影響がないかどうかを再確認するといった姿勢が重要になってきます。

また、財産の種類や渡したい気持ちの度合いによっては、遺言書以外のスキーム、例えば、「信託」の活用など、他の手段が取りえないかも併せて考えていくべき問題であるといえるでしょう。
【日本経済新聞WEB版2013/4/2】 

いかがでしたでしょうか・・・

遺言の難しさを感じえない状況でした・・・

常に、見直すことも考えながら準備することが重要なこととなってきます。

何事にもリスクは付き物です・・・

リスクをヘッジする考えは常時、準備しておきたいものです。


本日は、『遺産分割がもつれた場合の解決方法③』について、お話させていただきます。

1 審判

審判は調停と異なり、裁判官が職権で事実を調査して、相続人や遺産の範囲を確定し、遺産を評価したうえで、法定相続分に従って、各相続人の相続する財産を決定します。
しかし、職権調査とはいえ現実には相続人が資料を提出することは可能となりますし、また、要求されることがあります。

審判は、訴訟と同じように慎重な審理がなされることとなります。
審判に不服があれば、審判書の送付があったときから二週間以内に高等裁判所に即時抗告することができます。

以上、『遺産分割がもつれた場合の解決方法に③』についてを、お話させていただきました。

次回は、『遺産分割のその他の注意点』について、お話させていただきます。
13年04月01日 09時21分06秒
Posted by: arakisouzoku
4月1日です。

新年度のスタ-トとなりました。

この新年度から暮らしに関わる制度が変わるものがあります。

先ず、厚生年金ですが男性の支給開始年齢がこれまでの60歳から61歳まで引き上げられることとなりました。

今後、段階的に65際まで引き上げられます。

60歳で定年退職した場合、年金や賃金収入のない空白期間が生じることとなってしまうため、希望者全員を65歳まで再雇用することを企業に義務付ける改正高年齢者雇用安定法が施行されます。

この改正高年雇用安定法の施行云々の前に・・・非正規雇用の問題の方が深刻なような気もしますが・・・

安定した雇用が確保できる安心した暮らしができる社会に戻せなければ、絵に描いた餅となりかねません。

他、教育面では、祖父母から孫などへの教育資金一人当たり1500万円までの非課税が2015年末までの期限付きで適用されます。

消費の面では、政府が民間会社に売り渡す輸入小麦の価格が、平均9.7%引き上げられることとなります。

米国の干ばつや最近の円安傾向で小麦の価格が高騰したことが影響しているようです。

日本の場合、小麦はおろかそばの原料も、輸入に頼っています。

海外で生産された農産物を安定的に購入してくれる日本は上得意客でしょう。

ただし、一たび、天候不良等により不作の期間が続いたらば、日本に食料は回ってこなくなるかもしれません。

または、その時に、購入できる食料品の価格は恐ろしいほどの高値となることでしょう。

TPPについて激論が交わされていますが、日本の農業を死守することはおろか、今まで以上に日本の農業が発展できる政策を打ち出して欲しいと・・・個人的には思ってしまいます。

その他、自動車の自賠責保険の保険料が前年度比15.3%程、引き上げられるようです。

この値上げは、一体、なんでと思ってしまいます。

生命保険と同じく予定利率の低下によるものでしょうか・・・

いずれにしても、新年度を迎えて・・・

年金支給の引き上げが実施されたり、小麦の価格が上がったりとか・・・消費増税を他得ていたりとか、相続税の基礎控除減額を控えていたりとか・・・

今まで以上にライフプランの重要性が増して来たようです・・・


本日は、『遺産分割がもつれた場合の解決方法②』について、お話させていただきます。

1 調停への進み方

調停を申し立てて場合、家事審判官(家庭裁判所裁判官)一名と調停委員二名以上で構成される調停委員会が調停を担当することとなります。
調停の期日が決められて(第一回調停は申し立てからおおむね二ヶ月以内)、相続人に通知があります。
期日には、原則、本人が出頭することとなりますが、やむを得ない事情があるときは、弁護士たる代理人が出頭するのであれば本人が出頭しなくても足りることとなります。
なお、正当な理由がなく出頭しないときは五万円以下の過少に処せられるとしています。(家事審判法二十七条)

調停委員は、通常男女各一名であり、期日は、まず各相続人からそれぞれ事情を聴くことから始まります。
これは、非公開となりますので、自分のいいたいことを普段の話しかたで話せばいいのです。
ただ、自分のいい分を良く理解してもらうように整理したうえで話すことは重要でしょう。
双方同席で話し合うケースもあれば、同席することなく行うケースもあります。
同席しないケースでは、相続人は調停室と控室を交互に往復して、調査委員会を媒介役として話し合いが行われます。
調停委員は、相続人らのいい分を聴いて、第三者の立場にたって、客観的に妥当な解決を図るべくリードしていきます。

遺産分割協議では、遺産の鑑定評価が行われることがあります。
不動産鑑定士などの鑑定の専門家が、鑑定の評価を行って、遺産を評価するわけです。
この鑑定には、実費の鑑定費用がかかってきます。
その他、証拠調べや家事調査官による事実調査が行われることもあります。

相続人間での協議がまとまると、裁判官および調停委員の立ち会いのうえ、調停が成立したことを確認して、調停調書が作成されることとなります。
調停証書は確定判決と同様の効力が生じます。

調停で相続人間の話し合いがまとまらないときは不調となり、調停は終了して、家事審判の手続きへの移行となります。

以上、『遺産分割にもつれた場合の解決方法②』について、お話させていただきました。

次回は、『遺産分割にもつれた場合の解決方法③』について、お話させていただきます。

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