私か生まれた年の昭和34年に本田技研はアメリカに本格的に進出した。
当時のアメリカは、自動車の普及によりオートバイは経営の面でも技術開発の面でも行き詰っている時だった。


そこで本田宗一郎は今までのような実用本位の売り方では難しいと考えた。
そしてハードではなく、ソフトを売ることにした。
オートバイを移動手段としてではなく、レジャーを楽しむ為の乗り物として宣伝した。
ハンターカブやフィッシングカブなどを女性や子供まで乗れるように設計して売り出した。


それまでのブラックジャケット(暴走野郎)のイメージを変えようと、『タイム』や『ライフ』などの一流雑誌にドンドン広告を出していった。
ホンダは凄い勢いで売り上げを伸ばしアメリカ進出を成し遂げた。


通常、メーカーは物を作り、商社が外国に物を売る。
戦略があればメーカーが商社の力を借りず外国に物を売ることもできる。その良い例だと思う。たまにはアプローチ仕方を変えて見るものいいかもしれない。